2011年5月15日日曜日

災害ボランティア活動


2011.5.13〜14にかけて神奈川災害ネットワーク(ksvn)さん主催のボランティアバスに参加、ボランティアデビューしてきました。

お邪魔したのは、宮城県亘理郡(わたりぐん)山元町。
今回のボランティアは、被災された方のご自宅の泥出しなどがメインでした。
活動した地区はこの山元町でもいわゆる新興住宅区画でまだ建物も比較的新しい家が多い地区でした。

海岸からは約3kmほど離れてますが、1.4〜1.5mほどの津波の被害を受けており周辺にはまだ流された車や家財道具などが散乱してました。

今回の行程は、金曜日の19:30に横浜駅前をバスで出発、東北道を北上し途中数カ所のSAによりながら朝7:45に山元町ボランティアセンターに到着。
受付を済ませ、現地の担当者と今回の活動場所へ移動、9:30頃より活動を開始しお昼休憩を30分ほど挟み15:00頃まで活動しました。
対象となるお宅は全15棟。所沢からのボランティアチームとともに1チームあたり6名で9チームに別れ活動しました。
活動の記録はこちらのサイトをご参照ください。http://ksvn.jp/news2762.html

今回当地を訪れたとき、TVから流れてくる映像とは全く異なり非常に奇麗な佇まいで、震災の爪痕はあまり感じられませんでした。
15棟あるこの一角も非常に奇麗で、一見では震災被害がみあたりませんが、それはここの住民の方々が団結して整理したからだそうです。
なんとか地域で外周は片付けを済ませたものの塩害によって植栽がダメになったためその処分や、床上浸水したために床下に溜まってしまた汚泥の処理は個人や地域住民の力だけでは何ともならず、今回のボランティア要請となったそうです。
自治会長さんと少しお話しさせていただきましたが、皆さん5月3日までは避難所生活を余儀なくされていたとのこと。
震災後地域の方と一緒になって少しずつ清掃をし始めたそうですが、この地域では特に海岸寄りに下水道設備が整っていないお宅も多く、津波では汚物や汚水もながれ大変な状況だったそうです。
それでも、ボランティアに頼ること無くここまで片付けをしてきて初めて今回のボランティア要請を行ったとのことでした。
避難所の生活はそれはそれはストレスを感じる生活だとおっしゃってました。
あるお宅の方からは、「来ていただけなければ一生この汚泥と暮らさなきゃならないところだった」と涙まじりに感謝されてしまいました。
石巻や陸前高田、気仙沼など被害が甚大だと報じられている地域にはこのGWまで数多くのボランティアが訪れましたが、当然のことながら報道されていない地域でもボランティアのニーズは非常に高くやることはまだまだあると感じました。
お昼のときにちょっと時間があったのであたりを回りましたが、この各家の玄関には町の被災状況調査の結果「赤」「黄色」「緑」の布が貼られてました。
これは倒壊の「危険度」を表してあり、半径100m程を回っただけでもかなりの家が「赤」でした。
津波によって基礎の部分から母屋だけが数メートル流されている家も数件、完全に倒壊してしまっている家も数件、震災の映像にもあるように、流され放置されている車も周辺にはまだまだあります。
(ちなみに帰路は常磐自動車道を使い仙台南部有料道路を使いましたが、常磐自動車道より海側は映像で見る光景と全く同じで、まさに空襲後の焼け野原のような状況が目の前に飛び込んできました)

今回はたった1日の活動でしたが感じたことが2つ。
一つはボランティアには様々な形があるということ。
今回お手伝いした地域の方々は、幸いにして家を流されずに済んだので、自分たちで出来ることはし出来ないところをボランティアの我々がお手伝いするというかたちでしたが、ご自宅が流されたり、倒壊の恐れがあるため自宅に帰れない方々はいまだ避難所生活を余儀なくされており、そんな方々を支えて行くかたちのボランティアもあり。
また、そんな個々に異なるニーズと地域によって異なるニーズとシーズをマッチングさせるボランティアもある。
加えて現地で出来ること現地でしか出来ないこと、現地に行かずとも物資の収集や仕分けなどいま住んでいる地域でもできること様々で、それぞれが重要なボランティアだなと感じました。
また、個人でボランティア活動することも大変すばらしいことですが、今回のようなバスである特定地域の素性のわかっている団体がボランティアに来る、ということも、住民の皆さんにはとても安心できると仰ってました。

二つ目は、当たり前のことですが忘れがちなこと。やはり人は支え合って生きているんだということ。
今回お手伝いさせていただいた地域住民の方の一致団結した活動もしかりですが、行きの高速でやはりボランティアバスでいらしている大阪や兵庫の方々を数多くお見かけしました。新潟ナンバーのバスも見かけました。
私は直接お話できませんでしたが、やはり阪神淡路の時にいろいろ助けてもらったから、というのがボランティア参加者の参加動機となっているようでした。
今回一緒にボランティアに参加した方には阪神淡路はもとより、雲仙や三宅島、中越地震でも活動された方が数名いらっしゃいましたが、皆さんが共通に「今回は復興にかなりの時間がかかるだろう」と仰ってます。
そのためにも、出来るだけ長く、多くの方がボランティア活動を続けられるようなボランティア体制や環境の整備が必要だと感じています。
私自身も、今回の活動限りではなく継続して活動して行くためにもう一歩踏み込んで活動しようと思います。
とはいえ、普段はサラリーマンの身ゆえに限界もあります。
でも、そんなハードルも少しだけでも下げることで「活動はしてみたいけど・・・」と踏み出せないでいる方の一歩を踏み出しやすく、肩をポンっとたたいてあげることも出来るんじゃないか?とも思ったりしてます。

いずれにせよ今後完全復興までにはまだまだ時間がかかりますし、やることは数多くあります。
少しでも復興を前進させるために、少しでも力になれればと思いを強くした週末でした。
ボランティアバス出発前の風景(13日 19:00頃)

各地からのボランティアバス@国井SA(14日 5:00頃)

山元町ボランティアセンター(14日 8:00頃)

活動場所周辺

活動場所周辺

活動場所周辺

活動場所周辺

今回の装備品

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